私が理想の教育棟の内部に入るのは、昨年の12月末以来です。
内装ができてきてからははじめてです。現在は電気系統の配線ができてきたところで、機材もまだ設置されていないものが多いですが、内部の様子を一足先にご覧下さい!
これは地下1階、オープンスペースアリーナ横の前の広間(ホワイエ)です。
カフェテリアに導くように照明が配置されているんですね。
奥にはカフェテリアの厨房が見えています。
これがカフェテリアの照明オブジェ、「木漏れ日プレート」。
たくさん集まると、こんな感じです。一つ一つは、小さいんですね。
こちらがオープンスペースアリーナに設定されている照明オブジェ「輝迸(きほう)」です。
外の景色とマッチしていてきれいですね。
これがレクチャーホールの中です。収容人数は18号館ホールより少し少なめ(固定席215席+スタッキングチェアー)で、室内が明るくても液晶プロジェクターの画像がくっきり見えるジェットブラックスクリーンを設置しています。
スピーカーはまだ付いていないようです。
床の金属の円盤の中にはコンセントが収納されていて、電源を取ることができます。
スクリーンが上がっていれば、レクチャーホールから地下広場を見渡すことができます。
戸を開けて外に出ることができるんですね。
地下1階ホワイエに設置されているエコ見える化ディスプレイです。ほんの少しですが、左右に動かすことができます。
理想の教育棟のコンセプトの一つである「ZEB (Zero Energy Building)」にもとづき、建物の消費・発電電力や節電状況のデータが表示される予定です。
オープンスペースアリーナにも2面ディスプレイがあります。
DVDを映したり・・・
ウェブサイトを表示したり。
あらかじめ特定の機器を備え付けてあるのではなく、使用者が持って来た機器をなんでもつなげるように配慮されています。
こちらはM.M.ホールを下から見上げたところです。横にシンボル・ツリーのクスノキが見えます。
全体的にはこんな感じです。外の景色がきれいですね。
ただこのホールはガラス張りなだけに、空調無しでは少々蒸し暑かったです。
次に続きます!
(文と写真: 教養教育高度化機構 チーム形成部門 坂口菊恵)
中央アジアの映画というのはなかなか日本ではお目にかかれない。日本版のDVDが販売されている作品は数えるほどしかなく、DVDがすでに廃盤になってしまったものやVHSでのみかつて販売されていたものを含めてもごくわずかしかない。劇場での上映についても、普通に日本の配給会社が配給契約をむすんで劇場公開されるということは少なく、映画祭(東京国際映画祭や東京フィルメックス、アジアフォーカス福岡国際映画祭など)やその他なんらかの特別上映企画(各国大使館や国際交流基金の協力で中央アジア映画に的を絞った特集上映も何度か行われている)など限定的なかたちでのみ上映されるということが多い。
しかし、中央アジアで全然映画がつくられていないのかというと、決してそうではない。ソ連時代には、各共和国ごとに映画会社がつくられ、国家の奨励の下で盛んに映画制作が行われていた。そして、ソ連崩壊、各国の独立の後も(政情の変化などで映画産業が一時的に衰退した地域もあったが)映画制作はつづけられており、カンヌやベルリンといった国際映画祭に出品されて国際的な評価を得る作品、監督も多数あらわれている。
このように、質、量ともにけっして低いレベルではないわりに日本ではなかなか観られる機会の少ない中央アジアの映画だが、6月17日から6月30日までアテネフランセ文化センターでおこなわれている「ソビエト映画アーカイブス スペシャル」(http://www.athenee.net/culturalcenter/program/s/ss.html)という特別上映企画では、中央アジア映画の中でも特に観られる機会の少ないソ連時代の作品が数作上映された。その上映された数作の中から、ここでは『灰色の狼』という作品について書きたいと思う。
『灰色の狼』は1973年にキルギスで制作された作品で、監督の名はトロムーシュ・オケーエフ。キルギスの映画だが、カザフスタンの作家アウエーゾフの短編小説が原作になっているという。
舞台は荒涼とした山あいの地域、主人公は日本でいうところの小学校低学年くらいの年齢の少年で、両親とは幼くして死に別れ、伯父と祖母に育てられている。物語は伯父が仕留め残した狼の子どもを少年が伯父の反対を押しきって家に引きとり育てはじめるところから始まり、そこから主人公と狼との関係や主人公と周囲の人々の暮らしの様子が描かれていく。
一言でいえば、厳しいリアリズムの映画である。夏は乾燥し、冬は冷えこみ地面が雪におおわれるという過酷な自然環境。荒れた土地で植物が育たないため人々は羊の放牧で暮らしているが、狼の群れに襲撃をうけて羊を食い荒らされるということもたびたび起こる。主人公の少年が愛情をこめて育てていた狼も映画の後半には脱走し、クライマックスでは戻ってきたその狼が少年を襲って瀕死の状態に追いこみ、けっして狼は人にはなれないのだという伯父の厳しい言葉の通りになる。この映画で描かれる人間と自然との関係は、このようにとても厳しい。しかし、それだけでなく、人間という生きもの自体や人間同士の関係というものについても厳しいまなざしが貫かれる。まず、伯父の主人公の少年に対する態度はとても厳しい。これは子どものいない伯父が少年を家の跡継ぎとして強い男に育てたいということのなのだが、伯父の不器用さから二人の関係は主人公にとっても伯父にとってもあまり幸せとはいえないものになってしまう。また、伯父は生活に苦しさから地主の羊を盗むという罪をおかし、自分をいっそう追いつめる結果に招く。少年に対してやさしかった祖母は次第に病気で弱っていき、少年が家出をしたときに助けてくれた伯父の友人も政治犯として追われており、ラストシーンは瀕死の少年を看病していた彼が警察に連れていかれる場面だった。
ズームイン・ズームアウト、パンやカメラの移動、カット割りといった撮影技術は非常にシンプルで特に凝った技巧は使われていなかったが、リアリズムに徹した描き方をするこの映画ではむしろそれでよかったと思えるふうでもあった。映画としての質は同時代の他の地域、ソ連以外の地域とくらべても遜色はない、いやむしろ中央アジアの風土をうまく描いた佳作、良作の類に入る作品と言っていいのではないかと思う。
さて、『灰色の狼』についての感想は以上だが、今回のこのアテネフランセの特集からはもう1本『白い汽船』という作品(これもキルギスの作品)についても紹介したいと思うので、次回はその作品について書きたいと思う。
(文:文科二類二年 川名)
こんにちは!食文化班の福井と間下です。
先日、ウズベキスタンの伝統料理・ラグマンを作ってみたのでその報告をしたいと思います。
まずは「ラグマン」とは何か説明しましょう。
ラグマンとは、ウズベキスタンをはじめとする中央アジア地域、および中国のウイグル自治区などで
日常的に食べられている麺料理で
イメージとしては、トマトとラム肉のスープを使った讃岐うどんという感じです。
また、ラグマンという名前からもわかるように、ラーメンのルーツとなった料理であるとも言われています。
***
今回、大鬼からこの写真を託された。
大鬼とは、ゼミを統括する岡田先生のことである。
ウズベキスタンで大鬼が食べたこれを日本で再現してみよというのが今回の指令。
我々は戦慄した。
「こんなものが作れるのか?」
しかし我々は作らねばならなかった。大鬼の指令には逆らうことは許されない。
我々は足早にオオゼキ下北沢店に向かった。
今回用意したのはこちらの材料である。
秘伝のスパイスは大鬼がウズベキスタンより持ち帰った本格派であり
さらに本場のナンのおまけつきだ。その点実に気前が良い。
(なお、秘伝のスパイスはクミンシードであることが後で判明した。)
見たこともない材料達を前にして、
これでお料理系男子への仲間入りだ。我々は希望に胸を躍らせていた。
おもむろに包丁をとり、
タマネギ、青唐辛子、にんにく、ピーマン、パプリカ、ズッキーニといった野菜を切り始めた。
そして炒めた。
今回、フライパンの容量の関係でにんにく青唐辛子、たまねぎ、パプリカ、羊肉は別々に炒めることとなった。
まずにんにく青唐辛子で油(今回はサラダ油を使用した)に香り付けをした後
たまねぎをきつね色になるまで炒める。
そこにパプリカとピーマンを入れ
さらにその後羊肉をいためた(羊肉はブロックのものがよかったが、今回は手に入らなかったのでスライスのものを使用した)
このとき同時に、鍋には1500ccの水とローリエ、コンソメを入れ煮立たせる。
時計を見れば、すでに夜の1時過ぎ。
立ち上るローリエの良いにおいに「中央アジアの香りがするッ!」と狂喜乱舞していた。これが巷で言う深夜テンションである。
そしてついに、スープと野菜が邂逅するときが来た。
ぐつぐつと煮込まれていく野菜たちに我々は夏に向かうウズベキスタンへの思いを重ねていた。
鍋からは湯気とともに、美味しそうなにおいが立ち上る。食欲へきつい一撃を加える。
我々は今か今かと煮込み終わるのを心待ちにしていた。
そして、キッチンタイマーがついにその時を告げた。
さあ、盛りつけである。
人は顔が9割と言われるが、盛りつけも同じである。失敗は許されない。
別にゆでておいた讃岐うどんにできあがった具とスープを盛りつける。
細心の注意を払い、具をOn The UDONした。
さあ、みたまえこの類似性を。
我々は大鬼の指令を見事遂行することができた。
遂行された任務ほど語るに足らないものはない。
とは言うものの、食べた感想も記しておきたい。
まず、少々水を入れすぎたため少し味が薄くなってしまった。
さらに、青唐辛子を入れすぎたせいで少々味が辛くなってしまった。
やはり、きちんと各々の材料の分量は守らなければならない。
報告はここまでで終わりとしよう。
反省は色々とあった。
だが、我々は確かにこの料理の中にウズベキスタンの空気を感じることができた。
また一歩ウズベキスタンに近づいたのだ。
我々は作り続ける。遙かなるウズベキスタンを目指して。
※次回はプロフに挑戦します。
(文、写真:文科二類二年 福井・理科二類二年 間下)
はじめまして!このブログは全学自由研究ゼミナール 中央アジア散歩の面々が、活動報告や調べたことを発表していくブログです。
政治・経済から食文化や表象文化まで、様々なカテゴリーについて執筆していく予定です。夏休みの現地滞在記なども書く予定です。
よろしくお願いいたします!
(文:理科二類二年 間下)